1992年6月S氏の誘いで、1100GPにてTOF(テイストオブフリーランス)
俗にDOBAR(ドーバー) のMONSTERクラスにデビュー、
予選落ちという洗礼を受けました。
年2回開催初年度ということで、同年12月、DOBAR1クラスに切り替え、
MONSTER出場を目指して修行することに。
決勝初出走のマシンがこのZ750D1です。
翌年の1993年はZ750FX外装に載せ換え、GREEN RACING は DOBAR 1 5台体制に。
#23が私。
1995年頃は、DOBAR 1 ですが、なぜかZ1000MK2のAMAカワサキワークス仕様にイメージチェンジ。
MONSTERクラス出場が見えてきた現れです。
#22が私。
1996年6月、いよいよMONSTERクラスにアップ。
それまで誰もつけていなかった#60を希望して、S氏#21との2台体制が始まりました。
この頃のゼッケンは、赤地に白文字でした。
マシンは街乗りのZ1100B2です。
この回は、H2でDOBAR 1 にもダブルエントリー。
予選後、念のためピストンをチェックしているシーン。
ゼッケンの色も変遷があり、白地に赤文字の頃もありました。
タイヤは懐かしのミシュランTX11。
この頃の18インチで使えるタイヤは、実質これしかありませんでした。
フロントタイヤは細かいブロックパターンのため、直ぐに偏摩耗して洗濯板のように凸凹になります。
1997年12月、大きなレギュレーション変更があり、
当時のAMAスタイルになるよう厳しく絞った今の形になりました。
17インチ不可、FCR・TMR不可、セパハン不可(カタナだけはセパハン可)、
フォーク径は39ミリまでという今のスタイルができたのです。
ゼッケンも、やっと白地に黒文字になりました。
この辺のことは、TOF立ち上げから関わるS氏の働きかけが効いたようです。
奥が私のマシン。
この回、新生MONSTERのホールショットを奪ったのは私でした。
5周位は1位を死守、
前走者がいないサーキットは、やけに静かに感じたのを覚えています。
結果は2位でゴール。惜しかった。
1998年は、ライムグリーン3台とZ1Rモリワキ徳野仕様、MK2ボールドウィン仕様の5台体制。
みんなMONSTERクラスに上がってきました。
2000年、仕事が忙しくなったS氏と分離し、
プライベーターだけのメンバーでGREEN RACINGを継承、
のんびりと池のほとりでテントもナシ。
チームは別でもS氏とのウイリーは、せーので一緒にフロントアップ。
お互いのエンジン音の変化を合図に、タイミングを合わせてクラッチミート!
地元、荻窪軍団で鍛えられた阿吽の呼吸が生きていた一瞬です。
つづく
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